2015年5月29日金曜日

「ツルのジレンマ」

少子化解消云々、働く女性応援云々…。
なんだかよくわからないのです。

例えば、
たくさん子どもを産んでも、保育園がしっかり面倒みますよとか。
たくさん子どもを産んだら、お金がもらえますよとか。
どうもしっくりこないのです。

皿に入ったスープに困っているツルが
「食べにくかったらスプーンがありますよ」とか、
「冷めたらまた温めますよ」とか、
言われているような感じ。

いや、たぶん「皿」がいけないんです。
「壷」にして欲しいんです。


イソップ寓話の「キツネとツル」。
いじわるなキツネだなと思っていたけど
仕返しするツルも、ちょっと性格悪いかも。


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「ツルのジレンマ」(南日本新聞「南点」 平成26年5月9日掲載)

 今年度、幼稚園のPTAの仕事を引き受けた。引き受けた後で、町内会の班長の当番年度であることがわかった。日々の家事や育児だけでも四苦八苦しているのだが仕方ない。やってみれば案外面白いかもしれないと前向きに取り組むことにした。

 PTAや町内会の会合に顔を出すと、出席者の9割以上が女性である。PTAや地域活動に協力的な男性もいらっしゃるとは思うが、ほとんどの男性は働きながら先のような活動に参加するのは無理なのかもしれない。しかし今の時代、働く女性も少数ではない。「『PTA活動のために休みます』と職場に言いにくい」「仕事と家事で手いっぱい」とは、働く母親たちの共通の思いだろう。

今から100年近く前、与謝野晶子や平塚らいてう等は「母性保護論争」を繰り広げた。「婦人はいかなる場合にも男子や国家に依頼すべきではない」と主張する晶子も、「国家は、妊娠、出産、育児期の女性を保護する責任がある」と反論するらいてうも、女性として母としての社会的・経済的地位の向上を目指している点は同じだ。

 1986年に男女雇用機会均等法ができ、女性が働くための門戸は広くなったものの、未だに母親がフルタイムで働こうとしたときのハードルは低くない。なんだか、イソップ寓話「キツネとツルのごちそう」で、皿に入ったスープを勧められているツルのようだ。私自身、少々独身時代が長かったせいか「キャリア志向?」と聞かれたことがあったが(もちろんそんな理由で独りだったわけではないし、たいしたキャリアもない)、仕事か家庭かで悩む女性がいるというのも事実なのだろう。

 働くということが、仕事以外の諸々を引き受けてくれる誰かの存在を前提としているのなら、それもまた一種の依頼主義。子育てや親の介護をしながらでも働ける仕組みが実現すれば、長時間労働などの問題も解消できそうなのだけど。キツネもツルも使いやすいユニバーサルデザインの器は考案できないのだろうか。

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2015年5月1日金曜日

「第二のステージ」

おもちゃコンサルタントの認定を受けるために「東京おもちゃ美術館」での
講習を受講したのは、2011年3月第1週の土日でした。

4月に出産予定の妊婦だったため、
ゆっくり移動できるよう金曜日の午後から東京入り。
主人と、そして2才の娘も付き添ってくれました。

講習には全国から受講者が来ておりましたが、
なにしろ臨月の妊婦というだけでも注目を集め、
さらに、九州の果てからやってきたということで
皆様からとても優しく接していただきました。

もしも、あの講習が1週間遅かったら、妊婦と幼児を含む
土地勘のない家族は、おもちゃ美術館まで辿りつけたかしら?
ときどき、そんなことを思います。

さて、コラムで紹介している砂田さんとは、なんの面識もありません。
でも、笠沙えびすも、薩摩スチューデントの記念館も大好きな場所の一つです。


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「第二のステージ」(南日本新聞「南点」 平成26年4月25日掲載)

  今から6年前の4月、廃校となっていた新宿区四谷第四小学校の旧校舎に「東京おもちゃ美術館」がオープンした。同館をプロデュースしたのは、公共空間の建築物再生で知られる鹿児島出身のミュージアムプロデューサー砂田光紀氏である。

 私が初めておもちゃ美術館を訪れたのは3年前の3月。週末だったためか多くの親子連れで賑わい、「ゲームのへや」では小学生たちがスタッフの指導を受けながらテーブルサッカーやボードゲームを楽しんでいた。そこは、おもちゃを展示するだけの施設ではなく、実際に遊べる体験型ミュージアムなのだ。

 教室をリニューアルした各部屋には、必ず「おもちゃ学芸員」が配置されていた。マニュアルが必要なゲーム等に限らず、おもちゃがポツンと置かれているだけでは、「遊び力」が衰退した現代の子どもだと遊べないまま立ち去ってしまうこともあるという。おもちゃ学芸員は、来館した子どもたちにおもちゃの魅力を伝える指導者であると同時に遊び相手でもある。

   彼らは全員ボランティアスタッフでありながら、学芸員になるにあたって有料の講義と実習を受けた人たちだ。日本でのボランティア人材源は子育てを終えた主婦層と60代以上の高齢者層といわれている。おもちゃ美術館は、彼らの経験、技術、知識を活かせる場でもあるのだろう。

   同館のプロデューサー砂田氏は、日本各地でその土地ならではの素材を活用した公共施設の演出を手がけている。おもちゃ美術館では昭和初期の貴重な建築遺産でもある校舎を活かしつつ、国産材を多用した内装が施されていた。名のある職人の手で造られた、遊びのための茶室や小屋は専門家も驚くほどの質の高さを誇っている。

 しかし、一つの役目を終えた建物が新たな公共施設として蘇るには、やはり「ヒト」という素材が不可欠だったのだ。おもちゃ美術館で、おじいちゃんと孫のような「他人」同士が楽しげに遊んでいた風景が、そう物語っていたような気がする。

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2015年4月28日火曜日

「芽生えのころ」

4月は息子の誕生月。
卯年の卯月に彼が生まれたとき、「啓」という漢字をプレゼントしました。

「卯」は門が開く様子を表した象形文字だと知って、
「ひらく」という意味の文字を名前に使いたかったのです。

さて、昨年4月11日の南点ですが、なんだか唐突に金星の話が
挿入されていますね。こじつけっぽいかなと思いつつ
4月だし、やっぱり「啓」の字を使いたかったわけです。

ちなみに、レイチェル・カーソンが亡くなったのは1964年4月14日。
昨年は没後50年に当たる年でした。


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「芽生えのころ」(南日本新聞「南点」 平成26年4月11日掲載)

  4月は英語でApril。これはギリシャ神話の女神アフロディーテ(Aphrodite)に由来するという。確かに、花々が咲き乱れ、生命の息吹が際立つ春は美の女神にふさわしい。子どもたちと外へ出かけるのにも最適な季節の到来だ。

子どもたちは散歩をしながら実に様々なことを発見する。散り始めた桜の花びらを追いかけ、歩道の隙にタンポポを見つけてはしゃがみこみ、そこに通りかかった小さなアリに目を奪われ…、彼らとの散歩はなかなか前に進まない。急いで帰りたい状況であれば、ついつい「早く行こう!」と口走ってしまいそうだけれど、大人にとっては何気ない風景にいちいち立ち止まって興味を抱く感性こそ、子どもが生まれながらに持っている宝物の一つに他ならない。

 著書「沈黙の春」で環境問題を指摘した生物学者レイチェル・カーソンは、遺作「センス・オブ・ワンダー」で、「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではない」と語っている。教科書を暗記するより、日々の暮らしの中でリアルな自然の神秘に目をみはる豊かな感受性を育てれば、おのずと「もっと知りたい」という探究心が生まれてくるというのだ。

  例えば、明けの明星、宵の明星と呼ばれる星がある。現在では小学生でもこれらが同じ星だと知っているだろう。中国では太白星とも呼ばれる星だが、古い時代には明けの明星に「啓明」という別の名がつけられていた。これらが一つの星であることを突き止めたのはピタゴラスといわれている。彼はどうやってその事実を知ることができたのだろう。一つだけ確かなのは、どちらも見上げた人が興味を抱かずにはいられないほど美しい星だということだ。だから西洋ではこの星も美の女神ヴィーナスの名で呼ばれているのだ。

  知りたいと思う気持ちさえ芽生えれば何を学ぶべきか見えてくる。キッチン菜園は失敗続きの母だけど、せめて子どもたちの興味の芽は枯らさないようにしたいと思う春である。

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2015年3月27日金曜日

「弁当上手への道」

冷凍食品を温めて詰めるだけの弁当ですら、
どうして手際よく作れないのだろうと嘆いている母です。

世のお母さま方が作ったキャラ弁の写真を見ては、
そのクオリティの高さに「ひょえー!」と驚いている一人です。

ちなみに、先月、私がお別れ遠足用に挑戦して
子どもたちに好評だったキャラ弁は、ベイマックスおむすび。
顔のみ。

そんな母に似ず、器用な子どもたちは、6歳と3歳にして
(材料を計ってあげれば)クッキーが作れるようになりました。
まるで粘土あそびのように、いろんな形を作ってくれます。

そんな彼らを眺めながら、やっぱり料理は表現活動なんだなと、
思うわけです。

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「弁当上手への道」(南日本新聞「南点」 平成26年3月28日掲載)

 娘が幼稚園へ入園するとき、私の一番の心配事は「弁当」だった。娘の幼稚園は毎週金曜日が手作り弁当の日。恥ずかしながら、それまでまともに弁当を作ったことがなかったのだ。

 ずっと、料理は不得手だった。結婚を機に、どうにか毎日の食事は作れるようになったものの、朝の忙しい時間に数種類のおかずを用意して「かわいく」盛り付けるという芸当が自分にできるか自信がなかった。初めての弁当は前夜から作りはじめた。

 自分自身の反省もあり、娘には早いうちから料理を手伝ってもらっている。といっても食育を意識してというより、どちらかというと苦肉の策だった。娘は私が台所に立つと、一緒に遊ぼうとまとわりついてくる。これでは食事が作れない。それで、3歳になったばかりの娘に包丁とまな板を用意した。ままごと遊びのように「料理ごっこ」をしようと考えたのだ。娘は大喜びだったが、その代わり私一人で作るときの倍以上の時間がかかるようになった。最近では、息子も「手伝う!」と走り寄ってくる。料理が不得手だった母は、そんな彼らと一緒に料理の楽しさを学んでいるところだ。

 このところ、児童が弁当を作る「弁当の日」を実践した小学校の話や、「弁当力」について書かれた本が注目されるようになり、子どもが弁当を作ることの意義を考えさせてくれる機会も増えた。小さな箱に季節感や郷土色を彩りよく詰め合わせて携帯する弁当は、日本の食文化を語るうえで外せないカテゴリー。今では「Bento」として世界の共通語にもなりつつある。あの箱には、食材だけではなく日本人の美意識や家族を思う気持ちも詰め込まれているのだ。

 先日、今年度最後の弁当を作った。日本人の美意識を表現できるようなレベルには程遠いが、娘が毎回弁当箱を空っぽにしてくれるのがありがたい。「お弁当できたよ」。起きてきた娘に声をかけると、「お母さん、今日は午前保育だよ」との返事。

 スケジュール管理も不得手な母である。


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2015年3月13日金曜日

「苦しい時こそ成長の時」

卒業シーズンですね。
明日は幼稚園の卒園式。
昨日、娘はお別れするお友だちに手紙を書いていました。

この季節、卒業して進学したり就職していく若者たちの中には
自分の希望に沿わない結果を受け入れなければならない人も
少なからずいるんだろうなと…、
遠い昔を思い出しながら、そんなことを思います。

そして、「たまらなく好きなこと」さえ見つけることができれば、
人生の道筋は自ずと開けていくんじゃないかなと
今、しみじみ思います。

ちなみに、下記のコラムで「2006年、米国スタンフォード大学…」とあるのは
「2005年」の間違いでした。あぁ、恥ずかしい。

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「苦しい時こそ成長の時」(南日本新聞「南点」 平成26年3月14日掲載)

 「人生には、ときにレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こる」。2006年、米国スタンフォード大学卒業式のスピーチで、スティーブ・ジョブズ氏は学生たちにそう語りかけた。アップル社を創設し、若くして大成功を収めながら、その直後に自分で作った会社をクビになってしまった彼ならではの実感のこもった言葉だ。

 ジョブズ氏ほどスケールの大きなレンガではなくとも、不運や失敗に頭を小突かれることなんて人生の中には幾度もある。幾度もあるのだ。だからこそ、どうすればその時期を乗り越えられるのかを考えなければならない。ジョブズ氏は先のスピーチで、「将来、点がつながると信じること」、そして「たまらなく好きなことをみつけること」を揚げている。「点」というのは、本来の目的とは無関係に見える知識や技術のことだろう。


 ところで、毎日のように壁にぶつかりながら、日々、その壁を乗り越えていく人たちがいる。赤ちゃんだ。自分の体さえ思うように動かせない彼らは、常に今の自分を越えて新しい自分に到達しなければならない。つかまり立ちができるようになると、よろけたりひっくり返ったりするのも厭わず、自分の限界に挑戦し続ける。見ている方としては危なっかしくてヒヤヒヤするものだが、自分の力で一歩を踏み出したときの彼らの誇らしげな顔は、「もう赤ちゃんじゃない」という自信に満ちているようにも思える。


 赤ちゃんは努力しても無駄だとは思わない。その意欲が継続していけば、人はさまざまな困難にも積極的に取り組んでいけるだろう。失敗や壁にぶつかることは、喜ばしいことではないが、だからといって悲しむべきことでもないのだ。子どもたちにとって大切なのは、失敗しても時間をかけたり努力したりすることで克服できるという経験を積むことだ。そのために「想像力」と「遊び心」を育んでおかなければならない。これらは、人間が苦しい現実に直面したとき、それを越えていく原動力になるのだから。

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2015年3月2日月曜日

ごめんください。

娘が「お母さんのお店のレジで遊びたい」と言い出しました。
もちろん、本物のレジスターではなく、おもちゃのレジ。

娘のお店屋さんで買い物をしようとすると、娘から
「お客さん、何か言ってください」と言われます。
それで思わず「ごめんください」と言ってしまいました。
今どき“ごめんください”なんて死語だよ。

スーパーでもコンビニでも、無言で買い物ができますもんね。便利ですけど。

豊かになって、便利になってくると、人間関係は希薄になってくるのだと、
心理療法家でいらっしゃった河合隼雄さんの本に書いてありました。
「切符ひとつ買うのも、昔は駅員さんと顔をあわせて「京都一枚」なんて言っていたのが、いまは機械でポンと出てくるでしょ。買い物でまけてもらおうとしたら、お世辞のひとつも言わないといけなかった。ところがスーパーだったらもうまけてあるものねえ。」(Q&A こころの子育て ―誕生から思春期までの48章― 河合隼雄著)
せっかく子どもたちがお店屋さんごっこで買い物の練習をしても
現代では、会話として実践できる場所は限られているというわけです。

この本が刊行されたのは1999年。
冒頭で1997年に起こった神戸の事件に触れ、
子育てに悩む大人のために書かれた本であると説明されています。

目次を読むだけでも勉強になります。

Q1 豊かな時代なのに、なぜいろいろ問題が起きるのですか。
  みんながこころを使うことを忘れているからです。


Q3 子どもをちゃんと育てていけるかしらといつも不安です。
  どういう子育てがいいのか、ぼくにもようわかりません。


Q29思春期までに親としてやっておくべきことは何ですか。
  「ああおもしろかった」という体験を貯金しておくことです。


Q40覚醒剤が中学生にまで広がっているのはなぜですか?
  母性が弱かったら他の物に依存するしかありません。

こころを使うって、どうすればいいの? と思っても、
どんな場合にも当てはまる「こうすればいい」という答えはありません。
どうすればいいか考えることも、こころを使うことなんだと思います。




2015年2月27日金曜日

「おじいちゃんの声は金の鐘」

昨年の1月末に、テレビアニメ「サザエさん」で
波平さんの声を担当していた声優さんの訃報が報じられて
なんだか寂しい気持ちになりました。
昭和の親父の象徴のような波平さん。私にとっては雷親父のイメージでした。

しかし、サザエやカツオたちには威厳ある声で怒鳴っていた波平さんも
孫のタラちゃんにはやけに優しかったような。

そういえば、「ちびまる子ちゃん」のおじいちゃんおばあちゃんも、
「はなかっぱ」のおじいちゃんおばあちゃんも、
なんだかいい味出してるよな…。

私が子どもだった頃にはあんなに怒っていたうちの親も、孫には甘い。
なぜかしら?

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「おじいちゃんの声は金の鐘」(南日本新聞「南点」 平成26年2月28日掲載)

 
 島津日新公のいろは歌が、今人気の県民ヒーロー薩摩剣士隼人のパッケージでカルタになっている。平仮名が読めるようになった娘も隼人ファンの息子も、このカルタ遊びが大好きだ。平仮名が読めない息子は、読み札の絵と照らし合わせながら絵札を探している。もちろん、二人とも歌の意味は理解していない。今はまだ、「いにしえの道」を聞くだけだ(ちゃんと聞いているかもあやしいが)。しかし、カルタという遊びの中で、先人の教えを家族の声を介して聞くということに意味があるように思う。親しい人の声には文字情報以上の意味があるからだ。

 
 「声のなかにはね、かならず心が含まれておる」と、「お母さんの声は金の鈴―椋鳩十の母子論―」(あすなろ書房)にある。椋鳩十氏の晩年の講演や資料をまとめたこの本で、椋氏は幼いころに祖母や母から聞いた昔話や寝物語が、自分の情緒を育ててくれたと語る。感動と共に心に残る声は「人生の危険からガーンと落ちようとしたときに」金の鈴のように鳴り響き、子どもの心をグッと抱きとめてくれるというのだ。ユーモアを交えながら心を育てることの大切さを説く椋氏の言葉の一語一語にやさしさがにじむ。まるで孫たちの行く末を案じる一人の祖父のように。

 
 私自身は祖父母と交流することは叶わなかったが、娘と息子は両家の祖父母が身近にあり、私たち夫婦が仕事の間、祖父母の家で過ごすことも多い。おじいちゃんおばあちゃんというのは、親ほど近すぎず他人ほど遠くない絶妙の距離感で子どもたちに人生の機微を教えてくれるありがたい存在だ。

 
情緒を育てるのが祖母や母の声だとすれば、道理を説いてくれるのが祖父や父の声とはいえないだろうか。人生の岐路で正しい方向へ導く金の鐘のように。日新公のいろは歌を、おそらく日新公本人の声で学んだ孫たちが、戦国時代いかに活躍したかという史実は歴史好きの方なら良く知る話。歴史好きのおじいちゃんおばあちゃんは、ぜひ孫たちに語っていただきたい。


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