2015年3月27日金曜日

「弁当上手への道」

冷凍食品を温めて詰めるだけの弁当ですら、
どうして手際よく作れないのだろうと嘆いている母です。

世のお母さま方が作ったキャラ弁の写真を見ては、
そのクオリティの高さに「ひょえー!」と驚いている一人です。

ちなみに、先月、私がお別れ遠足用に挑戦して
子どもたちに好評だったキャラ弁は、ベイマックスおむすび。
顔のみ。

そんな母に似ず、器用な子どもたちは、6歳と3歳にして
(材料を計ってあげれば)クッキーが作れるようになりました。
まるで粘土あそびのように、いろんな形を作ってくれます。

そんな彼らを眺めながら、やっぱり料理は表現活動なんだなと、
思うわけです。

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「弁当上手への道」(南日本新聞「南点」 平成26年3月28日掲載)

 娘が幼稚園へ入園するとき、私の一番の心配事は「弁当」だった。娘の幼稚園は毎週金曜日が手作り弁当の日。恥ずかしながら、それまでまともに弁当を作ったことがなかったのだ。

 ずっと、料理は不得手だった。結婚を機に、どうにか毎日の食事は作れるようになったものの、朝の忙しい時間に数種類のおかずを用意して「かわいく」盛り付けるという芸当が自分にできるか自信がなかった。初めての弁当は前夜から作りはじめた。

 自分自身の反省もあり、娘には早いうちから料理を手伝ってもらっている。といっても食育を意識してというより、どちらかというと苦肉の策だった。娘は私が台所に立つと、一緒に遊ぼうとまとわりついてくる。これでは食事が作れない。それで、3歳になったばかりの娘に包丁とまな板を用意した。ままごと遊びのように「料理ごっこ」をしようと考えたのだ。娘は大喜びだったが、その代わり私一人で作るときの倍以上の時間がかかるようになった。最近では、息子も「手伝う!」と走り寄ってくる。料理が不得手だった母は、そんな彼らと一緒に料理の楽しさを学んでいるところだ。

 このところ、児童が弁当を作る「弁当の日」を実践した小学校の話や、「弁当力」について書かれた本が注目されるようになり、子どもが弁当を作ることの意義を考えさせてくれる機会も増えた。小さな箱に季節感や郷土色を彩りよく詰め合わせて携帯する弁当は、日本の食文化を語るうえで外せないカテゴリー。今では「Bento」として世界の共通語にもなりつつある。あの箱には、食材だけではなく日本人の美意識や家族を思う気持ちも詰め込まれているのだ。

 先日、今年度最後の弁当を作った。日本人の美意識を表現できるようなレベルには程遠いが、娘が毎回弁当箱を空っぽにしてくれるのがありがたい。「お弁当できたよ」。起きてきた娘に声をかけると、「お母さん、今日は午前保育だよ」との返事。

 スケジュール管理も不得手な母である。


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