2016年4月4日月曜日

朝ドラ

今日から新しいNHKの朝ドラが始まりましたね。

あんまりテレビドラマを見る習慣は無いのですが、
なぜか娘が「マッサン見たい」と言いだした頃から
朝ドラの時間にあわせてテレビをつけるようになりました。

なぜ6歳の娘がマッサンを見たがったのか今でもよくわかりません。
しかし見だすとハマるのは母の方で、「あさが来た」も毎回楽しく見ておりました。


さて先月、娘は終了式の日にクラスのみんなが書いた
思い出の冊子を持って帰ってきました。

1年間の思い出の作文のほかに、将来の夢や好きな食べ物や
好きなテレビ番組が書かれています。
小学1年生らしい、ほのぼのとした内容です。

娘のページを見ると、好きなテレビ番組は「あさがきた」。

え?
見てた?
学校に行く時間だから、最初の3分くらししか見てないでしょ?

ほかの子どもたちは、みんな子ども番組を書いているのに、
なぜ一人だけ朝ドラ?

たしかに、あささんみたいな偉大な女性になってほしいな
とは思うけど、母は知っているのです。娘が「あさが来た」より
妖怪ウォッチとか世界の果てまでイッてQを楽しく見ていることを。

素直にそう書けばいいのに。

2015年11月27日金曜日

ロケット

息子を幼稚園に迎えに行くと
お決まりのように近くの公園で遊びだします。

1時間くらいなら、まあ付き合ってもいいのだけど
遊びに夢中になると2時間を超えることも。
幼稚園から自宅までの家路のなんて遠いこと!
距離にして数十メートルほどなのに。

先日も幼稚園帰りに公園で遊びだし、3時を過ぎた頃に
「そろそろ帰るよー」と声をかけても「いや」と即答。

「じゃあ時計が6のところ(3時半)になったら帰ろうね」とか。
「おうちでおやつ食べようよー」とか。
声をかけ続けていたら、小学生のお姉ちゃんも帰ってきちゃった。

「ほら、お姉ちゃんも帰ってきたから一緒に帰ろう」
そう言って、やっと遊びをやめてくれた息子と
ランドセルを背負った娘と3人で家へ向かって歩きだしたら

眼の前の空をロケットが宇宙へ向かって飛んでいきました。
あぁ、なんか感動。

2015年9月25日金曜日

おれんじ鉄道

先日、子どもたちと「おれんじ鉄道」に乗りました。

特に目的もなく、ただ「列車に乗って遠くへ行ってみよう!」という
ゆる〜い遠足です。

なぜ「おれんじ鉄道」かというと…
一番のんびりできそうな気がしたから。というか、
やっぱり車窓からの眺めが魅力的だったから。
今の季節、黄金色の田んぼの脇に咲く深紅の彼岸花も
楽しめるんじゃないかな、と思ったからです。

それと、阿久根駅に行ってみたかった。というのもあります。

というわけで、子どもたちもリュックを背負って
まずは市電に乗って鹿児島中央駅へ。
そして川内駅でおれんじ鉄道に乗り換え。

たどり着いた阿久根駅。リニューアル後、初めて来ました。
駅全体がとってもおしゃれに変身しているじゃありませんか。


気になっていたキッズルームは…

まるで小さな小さな「おもちゃ美術館」のようです。

グッド・トイがいろいろ置いてありますよ。


うちの子どもたちも大喜びで木の砂場に飛び込んで遊んでいました。

でも残念なことに、ひっつきむしの虫たちが無くなっているようです。
ひっつき棒は壊れているし、どんぐりころころの坂も見当たりません。

別のおもちゃの板を坂に見立ててどんぐりを転がして遊んでいたら
一緒に遊んでいた家族のお母さんが、「こうやって遊ぶおもちゃだったんだね〜」
と呟いていました。

そうよね。どんぐりだけ置いていてもわかんないですよね…。

東京おもちゃ美術館で、おもちゃで遊ぶ部屋に必ず「おもちゃ学芸員」が
いたことを思い出しました。

なんとなくモヤモヤしながら我々は阿久根駅を出発し、
なんとなく出水駅まで行き、そこでソフトクリームを食べながら
「そろそろ帰ろうか」と提案したところ、息子が
「芋堀りは?」と悲しげな表情で訴えてきました。

秋の遠足=芋掘り。だったのですね、彼にとっては。

よし次はシャベルを持って芋掘り遠足に行きましょうか。

2015年8月3日月曜日

小さき者

この夏、我が家にやってきた数匹の「小さき者」たち。

それは、庭の檸檬の木についていた「はらぺこあおむし」なのですが、
その中の一匹が脱走しました。

一生懸命探すのですが、なにしろ小さい。
もう見つからないかもね、と思っていたら……
(以下にあおむしの画像あり。嫌いな方は見ないでね)

いましたよ! ここに↓


見えますか?
南半球、クック諸島の近く。




ほら、いた。



小さいのに冒険心あふれるあおむし君。
大きく育って、立派な蝶になるのだよ。


Out on the ocean sailing away,
I can hardly wait to see you to come of age.
But I guess we'll both just have to be patient.
'Cause it's a long way to go a hard row to hoe.
Yes it's a long way to go but in the meantime.

Before you cross the street take my hand.
Life is what happens to you while you're busy making other plans.

Beautiful beautiful beautiful beautiful boy.

2015年7月23日木曜日

ミニバッグを作ってみました

友人が編んでいた夏用のカゴバッグがとっても素敵だったので
私も真似して編むことにしました。

でも初めてなので、練習用にまずは娘のミニバッグ。
糸3玉で、意外とすんなりできました。



ほら、いい感じ!
娘も喜んでます。練習用というのは内緒です。

子どもって、実は自分の荷物は自分で持ちたいんですよね。
ハンカチとティッシュと、お気に入りのお人形とか
散歩の途中で拾ったきれいな石とか。

大人からみると、なんでそんなものを?
と思うようなものも大切な宝物だったりするわけで。


さて、自分用のバッグも早く仕上げなきゃ。
もう夏本番ですもんね。

2015年7月3日金曜日

「赤ちゃんはなぜ泣くのか」

子どもができて嬉しかったり楽しかったりするものの、
たまには「もうイヤっ」と思うことだってあるのです。人間だもの。

そんなとき、
子育ては修行なのだ。滅私の心だ。
と唱えながら乗り越えたり、乗り越えられなかったり。

そんなこんなで手さぐりの子育てをしていて
気づいたら娘はこの春小学生になっていました。

過ぎてしまえば、乳幼児だった時期が愛おしい。
親ってみんなそんなもんなのでしょうか?

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「赤ちゃんはなぜ泣くのか」(南日本新聞「南点」 平成26年6月20日掲載)

 38歳で初めて娘を出産するまで、私は赤ちゃんのいる生活というものを理解できていなかった。出産後、娘と初めて同室になった夜、泣き続ける娘をあやしながら睡魔と闘うも数時間でギブアップ。看護師さんに娘を預けて眠りに就いたという「へなちょこ母さん」だった。

 娘はよく泣く赤ん坊だった。抱っこしながら寝かしつけた娘を布団に下ろそうとした途端、はっと目を覚ましてはワンワン泣く。看護師さんから「泣いたら授乳するように」と教えられていたのだが、泣くたびに授乳していたのではずっと抱きっぱなしではないか。他の子はここまで泣かないのだろうかと疑問に思いながら、娘を泣かすまいと一日中抱き続けた。

 赤ちゃんが泣くのには理由がある。お腹がすいたり、おむつを替えて欲しかったり、不快な状況を改善してもらいたいときに泣いて誰かを呼び寄せる。確かにそうだ。しかし娘は、たっぷり授乳しても、おむつを替えても満足してくれなかった。お腹も空いてない、おむつも濡れていない赤ちゃんがなぜ泣くのだろう。

 人は「誕生時から他者との結びつきを求めようとする脳がそなえられたのです」と、早稲田大学文学学術院の大藪泰教授は、著書「赤ちゃんの心理学」で述べている。生まれてすぐに大声で泣く「産声」も人間特有のものらしい。自然界では、誕生時に大声をあげることは自らの命を危険にさらす行為。それでも人間の赤ちゃんは、泣くことで母親と触れ合う機会を作り出そうとする。よく泣いていた娘も、へなちょこ母さんにかまってほしくて泣いていたのだ。

 外界の刺激を五感で受け止めながら成長していく赤ちゃんにとって、他者とのコミュニケーションはヒトとしての発達に欠かせない「心の栄養源」である。いや、赤ちゃんに限ったことではない。いくつになってもヒトは他者との関わりの中で成長する、そういう生き物だ。不惑の歳を過ぎて、子どもたちに振り回されながら「ほどよい母さん」を目指す私もそうだ。

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2015年6月15日月曜日

「勝負の手ごころ」

毎日毎日、言い争いをしている娘と息子。
だいたい、どちらかが泣き声で「お母さ~ん」と
助けを求めてくるのですが、話を聞けばどっちもどっち。

以前、尾木ママの講演会で、

「例えば、兄弟喧嘩が始まったとき、『こらっ!』と怒るのではなく
『どうしたの?』と優しい声で聞いてあげましょう」

と教えていただいたのですが、行うは難し。

「こらっ!」と叫んでから、いかんいかんと急に声色を変えて
「どうしたの~?」なんて言っているので、一貫性のない母の行動に
子どもたちが戸惑っているかもしれません。

まぁ、お互いの主張がぶつかってケンカするという経験も
幼い子供には必要だもの。
そうやって、手さぐりで人と人との付き合い方を学んでいるんだと
思うことにしています。

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「勝負の手ごころ」(南日本新聞「南点」 平成26年6月6日掲載)

 子どもたちとメモリーゲーム(神経衰弱)をしていたら、負けそうになった息子が「ずるい!」とぼやいた。「ずるくないよ!」と娘が応じる。そう、誰もズルなんかしていない。3歳になったばかりの彼の悔しさの表現が「ずるい」なのである。

 目の前で勝敗が分かれるテーブルゲームは、楽しいだけでなくトラブルに発展することも多い。だから、ゲームをする前に約束しておかなければならない。順番を守ること、途中でやめないこと等を全員で確認するのだ。ここで「面倒臭い」と思ってはいけない。私は、この作業が子どもとゲームをするときの一番大事なことだと思っている。

 息子の気持ちはよく分かる。末っ子だった私も家族でゲームをした場合、負ける頻度が一番高かった。ぶつぶつ文句を言っても、「ギを言うな」の一言で終わりだ。ちなみに、「ギを言うな」とは、薩摩藩で「詮議の後に文句を言うな」という意味で使われていた言葉らしい。

 詮議とは、みんなで意見交換しながら結論を出すこと。または、郷中教育で行われていた禅問答のようなものである。「船が難破したときに助けてくれた者が親の仇であった」「殿様から急用を仰せつかったが早馬でも間に合わない」そんなときどうするか、薩摩の子どもたちはお互い意見を出し合いながら問題の対処法を学んでいたのだ。西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎などの偉人も、こういった場で倫理観や実践的な知恵を身につけていたに違いない。

 「兄と慕った相手を砲撃せよとの命令が下ったらどうする」。実際にそんな難問が待ち受けていた時代の教育である。現代にはそぐわない部分もあるかもしれないが、子どもたちが様々な問題の答えを模索するという経験は現代でも必要だろう。

 「弟が負けそうになって、悔しがっていたらどうする」。メモリーゲームを始める前に娘に聞くと、「間違えても、もう一回やっていいことにする」と答えた。負けず嫌いの娘がそんなことを言うなんて。こんなやりとりもテーブルゲームの楽しみの一つ。

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