2015年6月15日月曜日

「勝負の手ごころ」

毎日毎日、言い争いをしている娘と息子。
だいたい、どちらかが泣き声で「お母さ~ん」と
助けを求めてくるのですが、話を聞けばどっちもどっち。

以前、尾木ママの講演会で、

「例えば、兄弟喧嘩が始まったとき、『こらっ!』と怒るのではなく
『どうしたの?』と優しい声で聞いてあげましょう」

と教えていただいたのですが、行うは難し。

「こらっ!」と叫んでから、いかんいかんと急に声色を変えて
「どうしたの~?」なんて言っているので、一貫性のない母の行動に
子どもたちが戸惑っているかもしれません。

まぁ、お互いの主張がぶつかってケンカするという経験も
幼い子供には必要だもの。
そうやって、手さぐりで人と人との付き合い方を学んでいるんだと
思うことにしています。

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「勝負の手ごころ」(南日本新聞「南点」 平成26年6月6日掲載)

 子どもたちとメモリーゲーム(神経衰弱)をしていたら、負けそうになった息子が「ずるい!」とぼやいた。「ずるくないよ!」と娘が応じる。そう、誰もズルなんかしていない。3歳になったばかりの彼の悔しさの表現が「ずるい」なのである。

 目の前で勝敗が分かれるテーブルゲームは、楽しいだけでなくトラブルに発展することも多い。だから、ゲームをする前に約束しておかなければならない。順番を守ること、途中でやめないこと等を全員で確認するのだ。ここで「面倒臭い」と思ってはいけない。私は、この作業が子どもとゲームをするときの一番大事なことだと思っている。

 息子の気持ちはよく分かる。末っ子だった私も家族でゲームをした場合、負ける頻度が一番高かった。ぶつぶつ文句を言っても、「ギを言うな」の一言で終わりだ。ちなみに、「ギを言うな」とは、薩摩藩で「詮議の後に文句を言うな」という意味で使われていた言葉らしい。

 詮議とは、みんなで意見交換しながら結論を出すこと。または、郷中教育で行われていた禅問答のようなものである。「船が難破したときに助けてくれた者が親の仇であった」「殿様から急用を仰せつかったが早馬でも間に合わない」そんなときどうするか、薩摩の子どもたちはお互い意見を出し合いながら問題の対処法を学んでいたのだ。西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎などの偉人も、こういった場で倫理観や実践的な知恵を身につけていたに違いない。

 「兄と慕った相手を砲撃せよとの命令が下ったらどうする」。実際にそんな難問が待ち受けていた時代の教育である。現代にはそぐわない部分もあるかもしれないが、子どもたちが様々な問題の答えを模索するという経験は現代でも必要だろう。

 「弟が負けそうになって、悔しがっていたらどうする」。メモリーゲームを始める前に娘に聞くと、「間違えても、もう一回やっていいことにする」と答えた。負けず嫌いの娘がそんなことを言うなんて。こんなやりとりもテーブルゲームの楽しみの一つ。

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