2015年7月23日木曜日

ミニバッグを作ってみました

友人が編んでいた夏用のカゴバッグがとっても素敵だったので
私も真似して編むことにしました。

でも初めてなので、練習用にまずは娘のミニバッグ。
糸3玉で、意外とすんなりできました。



ほら、いい感じ!
娘も喜んでます。練習用というのは内緒です。

子どもって、実は自分の荷物は自分で持ちたいんですよね。
ハンカチとティッシュと、お気に入りのお人形とか
散歩の途中で拾ったきれいな石とか。

大人からみると、なんでそんなものを?
と思うようなものも大切な宝物だったりするわけで。


さて、自分用のバッグも早く仕上げなきゃ。
もう夏本番ですもんね。

2015年7月3日金曜日

「赤ちゃんはなぜ泣くのか」

子どもができて嬉しかったり楽しかったりするものの、
たまには「もうイヤっ」と思うことだってあるのです。人間だもの。

そんなとき、
子育ては修行なのだ。滅私の心だ。
と唱えながら乗り越えたり、乗り越えられなかったり。

そんなこんなで手さぐりの子育てをしていて
気づいたら娘はこの春小学生になっていました。

過ぎてしまえば、乳幼児だった時期が愛おしい。
親ってみんなそんなもんなのでしょうか?

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「赤ちゃんはなぜ泣くのか」(南日本新聞「南点」 平成26年6月20日掲載)

 38歳で初めて娘を出産するまで、私は赤ちゃんのいる生活というものを理解できていなかった。出産後、娘と初めて同室になった夜、泣き続ける娘をあやしながら睡魔と闘うも数時間でギブアップ。看護師さんに娘を預けて眠りに就いたという「へなちょこ母さん」だった。

 娘はよく泣く赤ん坊だった。抱っこしながら寝かしつけた娘を布団に下ろそうとした途端、はっと目を覚ましてはワンワン泣く。看護師さんから「泣いたら授乳するように」と教えられていたのだが、泣くたびに授乳していたのではずっと抱きっぱなしではないか。他の子はここまで泣かないのだろうかと疑問に思いながら、娘を泣かすまいと一日中抱き続けた。

 赤ちゃんが泣くのには理由がある。お腹がすいたり、おむつを替えて欲しかったり、不快な状況を改善してもらいたいときに泣いて誰かを呼び寄せる。確かにそうだ。しかし娘は、たっぷり授乳しても、おむつを替えても満足してくれなかった。お腹も空いてない、おむつも濡れていない赤ちゃんがなぜ泣くのだろう。

 人は「誕生時から他者との結びつきを求めようとする脳がそなえられたのです」と、早稲田大学文学学術院の大藪泰教授は、著書「赤ちゃんの心理学」で述べている。生まれてすぐに大声で泣く「産声」も人間特有のものらしい。自然界では、誕生時に大声をあげることは自らの命を危険にさらす行為。それでも人間の赤ちゃんは、泣くことで母親と触れ合う機会を作り出そうとする。よく泣いていた娘も、へなちょこ母さんにかまってほしくて泣いていたのだ。

 外界の刺激を五感で受け止めながら成長していく赤ちゃんにとって、他者とのコミュニケーションはヒトとしての発達に欠かせない「心の栄養源」である。いや、赤ちゃんに限ったことではない。いくつになってもヒトは他者との関わりの中で成長する、そういう生き物だ。不惑の歳を過ぎて、子どもたちに振り回されながら「ほどよい母さん」を目指す私もそうだ。

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2015年6月15日月曜日

「勝負の手ごころ」

毎日毎日、言い争いをしている娘と息子。
だいたい、どちらかが泣き声で「お母さ~ん」と
助けを求めてくるのですが、話を聞けばどっちもどっち。

以前、尾木ママの講演会で、

「例えば、兄弟喧嘩が始まったとき、『こらっ!』と怒るのではなく
『どうしたの?』と優しい声で聞いてあげましょう」

と教えていただいたのですが、行うは難し。

「こらっ!」と叫んでから、いかんいかんと急に声色を変えて
「どうしたの~?」なんて言っているので、一貫性のない母の行動に
子どもたちが戸惑っているかもしれません。

まぁ、お互いの主張がぶつかってケンカするという経験も
幼い子供には必要だもの。
そうやって、手さぐりで人と人との付き合い方を学んでいるんだと
思うことにしています。

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「勝負の手ごころ」(南日本新聞「南点」 平成26年6月6日掲載)

 子どもたちとメモリーゲーム(神経衰弱)をしていたら、負けそうになった息子が「ずるい!」とぼやいた。「ずるくないよ!」と娘が応じる。そう、誰もズルなんかしていない。3歳になったばかりの彼の悔しさの表現が「ずるい」なのである。

 目の前で勝敗が分かれるテーブルゲームは、楽しいだけでなくトラブルに発展することも多い。だから、ゲームをする前に約束しておかなければならない。順番を守ること、途中でやめないこと等を全員で確認するのだ。ここで「面倒臭い」と思ってはいけない。私は、この作業が子どもとゲームをするときの一番大事なことだと思っている。

 息子の気持ちはよく分かる。末っ子だった私も家族でゲームをした場合、負ける頻度が一番高かった。ぶつぶつ文句を言っても、「ギを言うな」の一言で終わりだ。ちなみに、「ギを言うな」とは、薩摩藩で「詮議の後に文句を言うな」という意味で使われていた言葉らしい。

 詮議とは、みんなで意見交換しながら結論を出すこと。または、郷中教育で行われていた禅問答のようなものである。「船が難破したときに助けてくれた者が親の仇であった」「殿様から急用を仰せつかったが早馬でも間に合わない」そんなときどうするか、薩摩の子どもたちはお互い意見を出し合いながら問題の対処法を学んでいたのだ。西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎などの偉人も、こういった場で倫理観や実践的な知恵を身につけていたに違いない。

 「兄と慕った相手を砲撃せよとの命令が下ったらどうする」。実際にそんな難問が待ち受けていた時代の教育である。現代にはそぐわない部分もあるかもしれないが、子どもたちが様々な問題の答えを模索するという経験は現代でも必要だろう。

 「弟が負けそうになって、悔しがっていたらどうする」。メモリーゲームを始める前に娘に聞くと、「間違えても、もう一回やっていいことにする」と答えた。負けず嫌いの娘がそんなことを言うなんて。こんなやりとりもテーブルゲームの楽しみの一つ。

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2015年6月1日月曜日

「雨でも雪でも」

5月の週末、2回ほど子どもたちと喜入のグリーンファームへ
遊びに行きました。

野菜の収穫体験やそば打ち体験など、とても楽しかったのですが
生憎2回とも、雨でした。

レインコートと雨靴、さらに傘をさしながら
畑でニンジンやタマネギの収穫をするのもどうかと思うのですが
子どもたちはそんなこと気にしないのです。

収穫が終わったら、子どもたちはアスレチック広場へ
走って行ってしましましたよ。雨なのに。

しょうがないので、子どもたちが遊び疲れるまで
雨宿りしながら待っていたら、風邪ひいちゃった。
子どもたちは元気なのに、私だけ。

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「雨でも雪でも」(南日本新聞「南点」 平成26年5月23日掲載)

 雨の休日、「公園で遊びたい」と言いだした子どもたち。「雨ですよ?」と言いかけて、何かの本で読んだフィンランドの子どもたちのことを思い出してしまった。フィンランドでは寒さのせいで外遊びを諦あきらめていては、冬の間ずっと外に出ることができない。だから子どもたちは防寒服を着て極寒の雪の中で遊ぶのだ。小雨ごときでひるんではならぬ…と思ったわけではないけれど、確かに一日中家の中では退屈だろう。近くの公園へ行ってみることにした。

玄関でレインコートと長靴に身を包むと、もうそれだけで子どもたちはうれしそう。誰もいない公園に着いた途端、キャアキャア声をあげながら遊びだした。古い映画で、男の人が雨に濡れながらバシャバシャとうれしそうにダンスするシーンがあったが、まさにそんな感じだ。

 1952年公開の「雨に唄えば」は、無声映画からトーキーへと移行する時代の映画界を舞台にしたミュージカル。クスリと笑えるユーモア、名曲と楽しいダンスのオンパレードで今なおファンが多い不朽の名作だ。

 話の途中で突然歌い出すミュージカルに戸惑いを感じていた頃もあったけれど、子どもと一緒に観るならミュージカルはぴったりだろう。「オズの魔法使い」や「メリー・ポピンズ」など、親子で楽しめる名作は数えきれない。なにより、子どもたちは歌が大好き。昔から、毬つきをするときも、縄跳びをするときも、どちらにしようか決めるときも歌を歌っているのだから。

 雨の公園もいいけれど、こんな日は映画を観ながら歌うのもいいんじゃないかな。そんなことを考えながら公園ではしゃぐ子どもたちを眺めていたら、はしゃぎすぎた息子が水たまりに倒れ込んだ。小雨ごときと見くびってはならぬ…。びしょ濡れの息子を大慌てで連れて帰りながら、フィンランドには住めそうもないなと悟った。

 しかし、もし鹿児島に雪が降ったらフィンランドの子どもたちとは逆の理由で外に出たがるんだろうな。そして、歌いながら雪だるまを作るんだろうな。

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2015年5月29日金曜日

「ツルのジレンマ」

少子化解消云々、働く女性応援云々…。
なんだかよくわからないのです。

例えば、
たくさん子どもを産んでも、保育園がしっかり面倒みますよとか。
たくさん子どもを産んだら、お金がもらえますよとか。
どうもしっくりこないのです。

皿に入ったスープに困っているツルが
「食べにくかったらスプーンがありますよ」とか、
「冷めたらまた温めますよ」とか、
言われているような感じ。

いや、たぶん「皿」がいけないんです。
「壷」にして欲しいんです。


イソップ寓話の「キツネとツル」。
いじわるなキツネだなと思っていたけど
仕返しするツルも、ちょっと性格悪いかも。


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「ツルのジレンマ」(南日本新聞「南点」 平成26年5月9日掲載)

 今年度、幼稚園のPTAの仕事を引き受けた。引き受けた後で、町内会の班長の当番年度であることがわかった。日々の家事や育児だけでも四苦八苦しているのだが仕方ない。やってみれば案外面白いかもしれないと前向きに取り組むことにした。

 PTAや町内会の会合に顔を出すと、出席者の9割以上が女性である。PTAや地域活動に協力的な男性もいらっしゃるとは思うが、ほとんどの男性は働きながら先のような活動に参加するのは無理なのかもしれない。しかし今の時代、働く女性も少数ではない。「『PTA活動のために休みます』と職場に言いにくい」「仕事と家事で手いっぱい」とは、働く母親たちの共通の思いだろう。

今から100年近く前、与謝野晶子や平塚らいてう等は「母性保護論争」を繰り広げた。「婦人はいかなる場合にも男子や国家に依頼すべきではない」と主張する晶子も、「国家は、妊娠、出産、育児期の女性を保護する責任がある」と反論するらいてうも、女性として母としての社会的・経済的地位の向上を目指している点は同じだ。

 1986年に男女雇用機会均等法ができ、女性が働くための門戸は広くなったものの、未だに母親がフルタイムで働こうとしたときのハードルは低くない。なんだか、イソップ寓話「キツネとツルのごちそう」で、皿に入ったスープを勧められているツルのようだ。私自身、少々独身時代が長かったせいか「キャリア志向?」と聞かれたことがあったが(もちろんそんな理由で独りだったわけではないし、たいしたキャリアもない)、仕事か家庭かで悩む女性がいるというのも事実なのだろう。

 働くということが、仕事以外の諸々を引き受けてくれる誰かの存在を前提としているのなら、それもまた一種の依頼主義。子育てや親の介護をしながらでも働ける仕組みが実現すれば、長時間労働などの問題も解消できそうなのだけど。キツネもツルも使いやすいユニバーサルデザインの器は考案できないのだろうか。

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2015年5月1日金曜日

「第二のステージ」

おもちゃコンサルタントの認定を受けるために「東京おもちゃ美術館」での
講習を受講したのは、2011年3月第1週の土日でした。

4月に出産予定の妊婦だったため、
ゆっくり移動できるよう金曜日の午後から東京入り。
主人と、そして2才の娘も付き添ってくれました。

講習には全国から受講者が来ておりましたが、
なにしろ臨月の妊婦というだけでも注目を集め、
さらに、九州の果てからやってきたということで
皆様からとても優しく接していただきました。

もしも、あの講習が1週間遅かったら、妊婦と幼児を含む
土地勘のない家族は、おもちゃ美術館まで辿りつけたかしら?
ときどき、そんなことを思います。

さて、コラムで紹介している砂田さんとは、なんの面識もありません。
でも、笠沙えびすも、薩摩スチューデントの記念館も大好きな場所の一つです。


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「第二のステージ」(南日本新聞「南点」 平成26年4月25日掲載)

  今から6年前の4月、廃校となっていた新宿区四谷第四小学校の旧校舎に「東京おもちゃ美術館」がオープンした。同館をプロデュースしたのは、公共空間の建築物再生で知られる鹿児島出身のミュージアムプロデューサー砂田光紀氏である。

 私が初めておもちゃ美術館を訪れたのは3年前の3月。週末だったためか多くの親子連れで賑わい、「ゲームのへや」では小学生たちがスタッフの指導を受けながらテーブルサッカーやボードゲームを楽しんでいた。そこは、おもちゃを展示するだけの施設ではなく、実際に遊べる体験型ミュージアムなのだ。

 教室をリニューアルした各部屋には、必ず「おもちゃ学芸員」が配置されていた。マニュアルが必要なゲーム等に限らず、おもちゃがポツンと置かれているだけでは、「遊び力」が衰退した現代の子どもだと遊べないまま立ち去ってしまうこともあるという。おもちゃ学芸員は、来館した子どもたちにおもちゃの魅力を伝える指導者であると同時に遊び相手でもある。

   彼らは全員ボランティアスタッフでありながら、学芸員になるにあたって有料の講義と実習を受けた人たちだ。日本でのボランティア人材源は子育てを終えた主婦層と60代以上の高齢者層といわれている。おもちゃ美術館は、彼らの経験、技術、知識を活かせる場でもあるのだろう。

   同館のプロデューサー砂田氏は、日本各地でその土地ならではの素材を活用した公共施設の演出を手がけている。おもちゃ美術館では昭和初期の貴重な建築遺産でもある校舎を活かしつつ、国産材を多用した内装が施されていた。名のある職人の手で造られた、遊びのための茶室や小屋は専門家も驚くほどの質の高さを誇っている。

 しかし、一つの役目を終えた建物が新たな公共施設として蘇るには、やはり「ヒト」という素材が不可欠だったのだ。おもちゃ美術館で、おじいちゃんと孫のような「他人」同士が楽しげに遊んでいた風景が、そう物語っていたような気がする。

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2015年4月28日火曜日

「芽生えのころ」

4月は息子の誕生月。
卯年の卯月に彼が生まれたとき、「啓」という漢字をプレゼントしました。

「卯」は門が開く様子を表した象形文字だと知って、
「ひらく」という意味の文字を名前に使いたかったのです。

さて、昨年4月11日の南点ですが、なんだか唐突に金星の話が
挿入されていますね。こじつけっぽいかなと思いつつ
4月だし、やっぱり「啓」の字を使いたかったわけです。

ちなみに、レイチェル・カーソンが亡くなったのは1964年4月14日。
昨年は没後50年に当たる年でした。


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「芽生えのころ」(南日本新聞「南点」 平成26年4月11日掲載)

  4月は英語でApril。これはギリシャ神話の女神アフロディーテ(Aphrodite)に由来するという。確かに、花々が咲き乱れ、生命の息吹が際立つ春は美の女神にふさわしい。子どもたちと外へ出かけるのにも最適な季節の到来だ。

子どもたちは散歩をしながら実に様々なことを発見する。散り始めた桜の花びらを追いかけ、歩道の隙にタンポポを見つけてはしゃがみこみ、そこに通りかかった小さなアリに目を奪われ…、彼らとの散歩はなかなか前に進まない。急いで帰りたい状況であれば、ついつい「早く行こう!」と口走ってしまいそうだけれど、大人にとっては何気ない風景にいちいち立ち止まって興味を抱く感性こそ、子どもが生まれながらに持っている宝物の一つに他ならない。

 著書「沈黙の春」で環境問題を指摘した生物学者レイチェル・カーソンは、遺作「センス・オブ・ワンダー」で、「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではない」と語っている。教科書を暗記するより、日々の暮らしの中でリアルな自然の神秘に目をみはる豊かな感受性を育てれば、おのずと「もっと知りたい」という探究心が生まれてくるというのだ。

  例えば、明けの明星、宵の明星と呼ばれる星がある。現在では小学生でもこれらが同じ星だと知っているだろう。中国では太白星とも呼ばれる星だが、古い時代には明けの明星に「啓明」という別の名がつけられていた。これらが一つの星であることを突き止めたのはピタゴラスといわれている。彼はどうやってその事実を知ることができたのだろう。一つだけ確かなのは、どちらも見上げた人が興味を抱かずにはいられないほど美しい星だということだ。だから西洋ではこの星も美の女神ヴィーナスの名で呼ばれているのだ。

  知りたいと思う気持ちさえ芽生えれば何を学ぶべきか見えてくる。キッチン菜園は失敗続きの母だけど、せめて子どもたちの興味の芽は枯らさないようにしたいと思う春である。

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