2013年10月10日木曜日

ジャック・オ・ランタン

先日、与次郎ヶ浜のおいどん市場で
「栗坊」というミニカボチャを見つけました。

大きなカボチャを一つ使い切るのは大変ですが、
このくらいなら食べ切りサイズでちょうどいいですね。

それに、一度ジャック・オ・ランタンを作ってみたかったので
このミニカボチャで試してみようと思い、二つ購入しました。

まず、それぞれ電子レンジで3分ほど加熱。
やわらかくなった中身をスプーンでくり抜いて、
マジックで書いた顔をナイフで切り取れば出来上がり。

意外と簡単にできちゃいました。
 

夜、寝る前にキャンドルを灯してあげると、
「ハロウィンだ!」と子どもたちも大喜び。
 
熱いから気をつけてね。と注意しながら
しばし仄かな明かりを楽しみました。
 
最近では料理の際も「火」を使うことがないので
家の中の「火の気」なんて仏壇ぐらいですもんね。
↑それも我が家ではなく祖父母の家ですが。
 
さて、このジャック・オ・ランタン。作ったはいいのですが、
翌日にはもう腐敗が始まってしまっていました。
長持ちさせる方法はないのかな、と調べてみたのですが
やはりいずれは腐るものらしいです。
 
「あえて腐らせて更なる恐怖を演出する」という手もあるそうですが
それは避けたいと思います。
 
ちなみに、カボチャの中身を使った料理は、ポタージュスープ。
圧力鍋とミキサーであっという間にできる、我が家の定番料理です。

2013年10月8日火曜日

リンとシン

おもちゃ屋ma*mangoにはオリジナルキャラクターがいます。

 鹿児島でキャラクターデザインをされている
こじかじこさんが生み出してくれました。

ちゃんと名前もあります。
ねずみの女の子『リン』と、うさぎの男の子『シン』。

お店の看板になっています。

 

オリジナルのバッジとキーホルダーにもなっています。
 
いつか、この子たちのぬいぐるみを作って売り出したいという
ひそかな野望もあります。
 

「着ぐるみ…」←オーナーの呟き。

2013年10月3日木曜日

心を開くカード遊び

昨日の夕方、NHKの「情報WAVEかごしま」でカタルタが紹介されていましたね。

先月、開発者の福元さんが当店へいらっしゃったとき、
「カタルタを使うことで自己開示がやりやすくなる」
という話をしてくれました。

心を開いて会話するということが、初対面ですぐにできる人と
それができるようになるまで1年かかる人もいますよね。

会話の流れは、声の大きい人や発言力のある人によって
方向づけられることがほとんどです。

それを、対等な条件に持っていけるのがカタルタなのだと。

なんだかすごく腑に落ちる感じがしました。
だから、偶然インターネットでカタルタの存在を知ったとき、
まず私自身が「これいい!」と即座に思ったんですね。


我が家では今のところ「こどもカタルタ」を使って娘と遊んでいます。

カードをめくりながら桃太郎の話の続きを作ったところ、
思いもよらぬ展開に娘も私も大笑い。

読み慣れた絵本も、ページをめくる前にカードをめくれば
いつもと違った楽しみ方ができます。

そうやって遊びながら、娘の言葉の使い方や発想の奇抜さに
驚いたり感心したり。

子どもたちがもう少し大きくなったら、カタルタで
「7ならべ」をしながら語ってみるのも面白いかもしれませんね。

2013年8月31日土曜日

待つ

「子育てって『待つ』ことだと思います」。
以前、鹿児島市の市民講座を受講していたときに
読み聞かせの先生がそうおっしゃっていました。
二人の子育てしていると、その言葉をよく思い出します。

2歳の息子は、今なんでも自分でやりたがる時期。

しかし何をやるにも時間はかかるし危なっかしいし。
急いでいるときなんかは、できれば手を貸してあげたいのですが、
自分でやりたがるということは自我の芽生え。
ここで「やりたい気持ち」を踏みにじると後で大変なことになりますよ!
と育児書などに必ず書いてあるので、時間の許す範囲で見守ります。

先日、息子は着替えを自分でやると言い出しました。
ズボンならなんとか自分で脱いで(脱ぐまでかなりの時間を要します)
自分で着るところまでできるのですが(何度もやり直すのでこれも相当時間がかかります)、
Tシャツを脱ぐのは初めての挑戦です。

まずは裾をひっぱってモゴモゴもがいていました。
ここはやはり見守るところですね?
「がんばって!」と声をかけた途端。

「できないよー」。

え、あきらめるの早すぎませんか?
確かに、それは無理だなと母も気づいてはいましたが。

自分で全部お着替えが出来るのはいつだろう。
その日が来るのも、ゆっくり待ちましょうね。

2013年8月22日木曜日

月は東に日は西に

夏季休暇中、坊津と笠沙を訪れました。
海を怖がる息子が、なんとか海に親しんでくれないかと願っての家族旅行です。

母の頭の中にはセンス・オブ・ワンダーの言葉が渦巻いていますから。

幸い、坊津の美しい海のおかげで、当初かなり海水浴を嫌がっていた息子も
帰る頃には「きもちいー!」と笑顔で言ってくれるまでになりました。
それだけでも来た甲斐があるってものです。

笠沙では、夕方サンセットクルーズに出かけました。
このとき、「月は東に日は西に」と呟きたくなる光景を目にしたわけです。
本来は、春の情景を詠んだ句なのですが。

 
水平線に太陽が近づく頃、東から月が昇り始めました。満月まで、あと2日という月齢です。
このように、月と太陽が真逆の位置にあるとき、月はだいたい満月の頃になります。
 
春でも夏でも、太陽が沈むとき東の空に昇る月は満月と決まっているのです。
知りませんでした。
 
笠沙は古事記にも記載されている神話の里だからでしょうか、
黄昏色の西の空と、丸い月が浮かぶ東の空、
なにかしら神々しさを感じる風景でもありました。
 
そして、夕食のあとには望遠鏡で星空観測。
翌日は夜明け前に起きて定置網漁の見学。
初めての体験もいろいろあった今回の旅行で
子どもたちが何を感じたかはわかりません。
 
ただ、いつも忙しそうにしているお父さんとお母さんと
ゆっくり過ごせたことが一番うれしかったようです。
 
母は、旅行から帰ってさっそく科学館のパスポートを作りました。
月や星の動きについて、もうちょっと知っておかなくちゃ。
 
 

2013年8月12日月曜日

ぐらぐらオーリー

「お母さん、うちのオーリーどこに行ったの?」

オーリーというのは、木製の小さな起き上がりこぼし、「ぐらぐらオーリー」のことです。
娘が生まれて5ヵ月ぐらいの頃に購入しました。

ようやく寝返りができたばかりの娘は、オーリーがお気に入りで、
手をにぎって振り回したり、とんがり帽子をちゅうちゅう吸ったりしてよく遊んでいました。
もちろん、息子もオーリーとよく遊んでいました。
二人のお気に入りだったオーリー。

「ごめんね、お母さんお店に持っていっちゃった」。
「なんで?オーリー大好きだったのに!」←少し涙目。

オーリーを振り回して遊んでいた頃の記憶があるとは思えませんが、
ずっと傍にあったおもちゃだから愛着があったのでしょうか。

もう遊ばなくなったし、部屋の隅っこに置きっぱなしだったし。
だから二人のおもちゃとしての役目は終えたのかな、と思ってしまった母は、
サンプルとしてお店の商品棚に飾っていたのでした。本当にごめんなさい。

お店で新しい箱からもう一人のオーリーを取り出し、
「うちのオーリー」はやっぱり我が家に持って帰ることにしました。

「オーリー、連れて帰ってきたよ」
そう言って娘にオーリーを渡すと、にっこり笑い、そしてまたほったらかしています。
やれやれ、と思いながら我が家でオーリーを飾る場所を探す母です。


 

2013年8月9日金曜日

しつけ

最近、息子から「おかあさんは、おこりんぼー」と、毎日言われています。
そりゃあ、2歳の息子に対して怒りたくなることは山ほどあるわけですから
(食事の途中で遊びだす、片付けてるそばから散らかす、お風呂を嫌がる、お姉ちゃんに蹴りをいれる等々)、
にこにこ笑ってばかりもいられないのです。

「こらっ!」と声を出すたびに息子から「おこりんぼー」とののしられ、
さらに娘からは「まだ2歳なんだから、優しく言ってあげて」となだめられ、
なんだかお母さんだけ悪者みたい。
まだ2歳…。そろそろしつけもしていかなくちゃと思うのですが。

「子どもはしつけの中で、いちばん好きな両親や先生が自分に課してくる要請と、自分の要求との対立に苦しみながら、そしてその中で親や先生との共同生活をどう創り上げてゆくかに悩みながら、人間の生き方の基本を学んでゆきます。」(幼児期―子どもは世界をどうつかむか―/岡本夏木著)

子どもの要求を無視して、ただ言うことを聞かせるだけでは、
「子どもが大人に敗北していく屈辱の歴史」をつくることになってしまうのだそうです。
かといって、子どもの要求を受け入れてばかりはいられません。

ではいったいどうすればいいのか。
親の要請に子どもが「従う」のでも「背く」のでもない、
「その他」の方法を、状況に応じて親も一緒に考えなければなりません。
つまりそれが「共同生活をどう創り上げてゆくか」を考えていくことになるのでしょう。
難しいですね。「おこりんぼー」の母は、安易な方法しか思いつきません。

子どもがしつけを受け入れ、
いずれは自らの考えで正しい行いを選ぶようになるために必要なのは、
子ども自身の「誇り」であり、「自尊心」だと岡本氏は言っています。

「子どもがよいことをした時、人間的な親は、それを形式的に「ほめる」よりも、自分自身が喜びます。親が自分の行為を喜んでくれること、これほどうれしいことはありません。そして、「自分はオ母サンを喜ばすことができる人間なのだ」という子どもなりの自覚、これこそが、しつけから抜け出し自らの自立性をうちたててゆく、もっとも大きな拠りどころとなるものなのです。」

寝る前に息子が「おかあさん、だいすきー」と言ってきました。
「おこりんぼーなおかあさんでも?」と、嫌味っぽい返事をする母に
「うんうん」と頷く息子。横で娘も頷いています。
これほどうれしいことはありません。

「今度からは怒らないようにがんばるね」。
なんだか私が子どもたちからしつけられているようです。